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挨拶例文

挨拶例文をご紹介します。

ご遺族挨拶(出棺時)

ご遺族挨拶(出棺時)

ご遺族挨拶(出棺時)

例文1

「このたびは、亡き○○○○の葬儀にご参列頂き誠にありがとうございます。(一礼)
故人も皆様のご厚情に深く感謝している事と思います。
これより、遺族、親族で○○○斎場に行って参ります。
最後までお見送りを頂き誠にありがとうございました。(一礼)」

例文2

本日は御多用中にもかかわらず、態々ご会葬をいただいたうえ、最後のお見送りまでしていただき、誠にありがとうございます。(軽い一礼)
生前ひとかたならぬ、ご厚情にあずかり、今こうして皆様に温かいお見送りをいただき、○○○○もさぞ感謝いたしておりますことと存じます。
思いがけない死ではございましたが、故人の生涯は、皆様のおかげで充実しておりました。
残された私どもは、今後故人の分まで一生懸命生きていく所存でございます。どうか故人生前とかわりなく、ご指導、ご厚誼を賜りますようお願いして、あいさつにかえさせていただきます。
本日は、誠にありがとうございました。(一礼)

弔辞

友人代表の例

故○○○○さんの霊前に、謹んでお別れの言葉を申し上げます。
アジサイの咲き競い、吹く風もなまめかしい津軽の夕刻。
あなたの急逝の知らせに、あなたを知る先輩をはじめ、同僚知人は一様に驚愕の体であります。生者必滅のことわざはとはいえ、生前のあなたを知るものは、春は山の山菜取り、夏は海に、秋はきのこ採り、彼の地彼の山と駆けめぐり、尽きぬ思いでいっぱいであります。
また、あなたは○○局に入局以来、○○○○運転手や○○駅の駅務員となって、約○○年の長きにわたって勤務されてまいりました。
公私ともにあなたの生前の暖かい人柄、自分の困難な状況にもかかわらず、困っている同僚や後輩がいると、親切丁寧に身をもって指導され、職場をはじめ、町内会長はもとより、絶大な人柄でありました。
昨年の○○月の入院以来、奥さんをはじめ、親族、知人、同僚の暖かい看病や励ましの言葉など、効果なく、奥さんの見守る中で、○○日夕刻逝去されました。
あなたの残された家族について、我々は最大限の努力と援助を惜しまない覚悟でございます。
どうぞ霊界に去られるあなたの霊よ、御安心あれ。
あなたの思いは数々あり、尽きぬ思いで、あなたの霊にさよならの言葉をもちまして、ここに弔辞と致します。
平成○○年○○月○○日 友人代表○○○○

孫の例

お別れの言葉。
おばあちゃん、いつもかわいがってくれてどうもありがとう。
外ではケガをしないように、寒くなったらカゼをひかないようにと、いつも心配をして電話をくれたおばあちゃん。 今年のお正月も、みんなに年賀状をくれて。とてもうれしかったよ。
それから、おばあちゃんのお店の二階でみんなで騒いだら、階段の下から大きな声で「もう少し静かに」と怒られたこと。
その声はいつまでも忘れることができません。
もう一度大声で「こら、静かに」と怒って下さい。
でも、とってもやさしいおばあちゃん。
いつも口癖のように「お父さんお母さんの言うことをよく聞いてよい子になってね。
それがおばあちゃんの願いだからね。」と言っていました。
僕たち私たちはそのことを忘れずに、きっとよい子になりますから、どうかおばあちゃん、遠い空から見守って下さいね。 いつまでも、いつまでも。
愉快なやさしいおばあちゃん。さようなら。
平成○○年○○月○○日 ○○○○

職場代表の例

謹んで故○○○○社長の御霊前に申し上げます。
永らくご病気であられました社長は、奥様はじめ御親族皆様の手厚い看護にもかかわらず御逝去になりました。
社員一同を代表致しまして、ここに深く哀悼の意を申し上げます。
私が当社の社員として入社致しましたので○○年前でございます。
学校を卒業してすぐ入社したのですが、以来今日まであらゆる仕事に手を取るように教えられ、今日どうやらお役に立つような社員になったのであります。
それをかえりみますと、まだ御恩返しもすまないうちに、大切な恩人を失ったことに、最も不幸に考えて悲嘆の涙がこぼれるのをどうすることもできません。
私共社員一同が敬意にたえなかったことは、社長の仕事に対する並々ならぬ意欲と情熱でありました。社長は口癖のように、いつも「職場こそ人間を造る道である」と申しておりました。
「仕事にベストを尽くすことによって、その人間の光を増すのだ」と申しておりました。
しかし、社長の残された業績は我が社発展の礎となり、とこしえに輝くことでありましょう。
我らまた、その栄えなる御意思を受け継いで遠き社長の御霊にこたえん覚悟でございます。
ここに社員一同を代表して、謹んでご冥福をお祈り申し上げ、あわせて私の決意を述べ、哀悼の意を表す次第でおります。
平成○○年○○月○○日 職場代表○○○○

社葬(代表取締役社長)の例

はかなき人生とは申しながら、今日の死を誰が予測し、想像できたのでしょうか。
○日の夕刻、商談を終えての帰り道、突如として襲った病魔はきみをして幽明境を異にした、永遠の旅立ちになろうとは、何故にきみは急いでいったのか、常日頃健康には人一倍注意し常備薬も携帯しておったはずなのに、私は今その信じられない現実に、ただ驚愕と痛恨に極まり、哀悼の言葉すら知りません。
顧みる時、○○大学の学生として○○○商店にアルバイトとして来た時、それがきみとの出逢いの始まりでした。私はすでに○○○商店の社員として勤務しておりました。
きみは親元の○○で仕入れをする水産物全般を勉強するためにアルバイトを始めた時でした。
そして○○年○○月、きみは大学を卒業と同時に水産業界で身を立てたいとの強い意志から、○○○商店に正式に入社されました。
以来○○年有余、きみとの強い絆が結ばれたのでした。
○○年○○市中央卸売市場の開設と同時にきみと私、そして○○君、○○君の四人の若者が将来への大きな夢を託して。○○○水産を設立しました。
営業全般が私、経理全般がきみと、それぞれの責任を分担し、勇躍その経営に乗りだしたものの、現実は厳しく困難の連続でした。
基礎づくりに寝食を忘れ、何日も会社に泊まりこんで奔走した日々、しかしきみは高校、大学と野球投手としてならしたねばりと、その根性を困難な局面にぶつかるほどに、遺憾なく発揮されたのでした。
量販店の取引開発は、きみの思案による功績にひとつです。
45年の量販店がようやく業界の話題となりつつあった頃、いち早くその取り引きも着眼したきみは、関東、関西、東北と奔走し、今日の我社における取り引き関係の大きな柱のひとつでした。
またきみは事務の合理化とコンピュータの導入に意欲を燃やし、業界に先がけてとり入れたのでした。
きみは常に時代の流れに注目し、将来の我社の発展に心血を注いだのでした。
50年優良法人として表彰されたことは、こうしたきみの努力の成果でもあります。
○○年突然として発生したアクシデントの対決については、きみは持ち前の根性と信念で、関係業者、金融筋の説得と協力をとりつけ、また全社員の結束もあらたに、みごと早期にその解決をはかったのでした。
そしてその時、きみと共に心から喜びあったその時が、今でも私の脳裏からはなれません。
また、思い起こすことは、昨年の、きみが病床にあった時、会社の発展と社員への活力を引き出し将来への大きな夢を実らすために、新社屋の建設構想を話しあったのでした。
そして「やろう」その一言でその建設が決まり、昨年○○月に○階建ての社屋の完成をみたのでした。
その時の喜びを思い起こせば、○○人で発足した当社が、○○人余の社員を有し年商○億円に発展したことは、きみという得がたい友があったればこそ、成し得たことであり、ただ、感無量の一言につきます。
ようやく○人の娘さんも成長され、嫁がれた長女の○○子さんのおめでたを目前にしつつ、あと○○日で考え、楽しみにしておったきみが○○家にとって喜びにひたるはずであったのに、50年の盛年期から円熟への道を歩み始めたきみが、その志し半ばにして、早々と黄泉に旅立たれたことは、生者必滅は世のならいとはいえ、かえすがえすも残念の一言に尽きます。
当社設立以来○○余年、代表取締役専務として、その重責をまっとうされ、苦楽を共にした数々が私の脳裏を走馬灯のようにかけめぐっております。
きみというかけがいのない友を得たことが、今日の私があるのであります。
その友を失った今、悲しみと失望が言葉ではいい表すことのできない、万感胸に迫る思いです。
後に残された奥様をはじめ御家族の悲しみはいかばかりかと、深くお察しあげると共に、当社の大きな支柱を失った悲しみに胸が一杯であります。
人生は無常なりと、命には限りありますが、きみが当社に残した数々の功績には後輩社員がこれを受け継ぎ、当社の発展隆昌のために努力まい進することを、ここにかたくお誓いするものであります。
○○君、長い間本当に御苦労様でした。
残された御家族は、私が必ずお守りすることをここにかたく、お約束するものであります。
どうぞ、安らかにお眠りください。
御霊の御冥福を心からお祈り申し上げて、お別れの言葉と致します。
さようなら。
平成○○年○○月○○日

社葬(役員代表)の例

ここに、○○専務の御逝去に際し、役員職を代表して、お別れの言葉を捧げます。
思い起こす時、昭和○○年、○○株式会社設立以来○○余年の長きにわたり私達を御指導頂きました○○専務、今こつ然として帰らぬ永遠の旅にたたれたことは、ただ、驚きと悲しみで胸が一杯であり、その限りを知らぬありさまです。
常日頃から、当社の発展と時流への対応に心を砕かれ、未熟な私どもの先頭に立って指導してくださった専務、しかしなぜに、○○歳の若さで、旅路を急がれたのか、かえすがえすも残念でなりません。
ここに深甚なる敬意と感謝を捧げるものであります。
専務亡きあとは、私達、役員職一同、一致団結して、その意思を受け継ぎ、忠実に遂行し、社業の発展隆昌に努力まい進する決意であることを、ここにかたくお誓いするものであります。
今は遠き人となられた専務はいつまでも私達の胸中に生き続けることでしょう。
どうぞ心安らかにお眠りください。願わくは昇天の御霊、いつまでも当社をお守りください。
さようなら。
平成○○年○○月○○日 ○○株式会社 役職員代表

委員長挨拶

葬儀委員長 ○○町町内会会長の例

皆様、大変お忙しい中、しかも悪天候の中、たくさんこうしてお参りいただきまして、喪主並びに御家族、御親戚にかわり厚く御礼を申し上げる次第でございます。
故○○○○殿は、我が町内会に昭和50年におみえになり、大変穏やかなかたでございました。
そして、言語障害的に体の不自由もございまして、私達と二、三回お会いしたときに、あの苦痛な中にやはり自分の読経に対する愛着を私達にずい分高らかに、いろいろと自分の御意見を話され、ごちそうたまわりました。
その後、今年の2月22日、病が高じて病院に入院され、皆様方の暖かい看病のかもなく、去る16日の23時、急逝されました。
誠に惜みて余りあることでございます。
73歳の生涯我が人生最後に対し、心からおくやみ申し上げ、謹んでご冥福をお祈りいたす次第でございます。
生者必滅は人の世のならいとは申せ、誠に悲しみ、ご遺族の心中を察するとき、心からおくやみを申しあげる次第でございます。
故人の生前をしのび、このかんにあたりまして、略歴を述べさせてもらいます。
故人は明治○○年○月○日、岡山県○○郡○○町にお生まれになり、そして○○商業学校を卒業され、その後、大阪で勤務され、その後当時の兵役に徴用されまして、除隊後、○○交通株式会社に勤務されました。
昭和○年、○○○○さん、同業の方と結婚されまして、長男の方と長女の方をもうけられたのでございます。
その後、21年北海道にひきあげられたのでございます。
そして奈井江で二男の方をもうけわれ、網走、あるいは函館、札幌と居住を変えながら、お子さん達を育てあげ、人生をまっとうされたのであります。
そして、昭和50年に、○○地区に移住されたのであります。
しかし、昭和○○年頃より健康をそこなわれまして、喉頭ガンで二度も手術をされており、咽頭障害で言語機能を消失されました。
発生補助機などを使用され、家庭の中の暖かい協力で人生をまっとうされたのであります。
2月22日に急に病気が悪化されいろいろ医師の手厚い看護のかいもなく、ご逝去なされました。
皆様もご承知のように大変、家庭仲むつまじく、そしてお人柄もよく、立派な御家庭でございます。
どうか今後も故人の生前同様、皆様方の暖かい御交誼を心からお願いする次第でございます。
尚、これからの通夜におきましては大変勝手ではございますが、近親者によりとり行わせていただきますので、皆様方には随時ひきとり下さいますようにお願い申しあげます。
尚、明日はこの斎場にて10時告別式、11時出棺でございますので、どうか皆様方にはお忙しいでしょうが、再度最後のお別れでございますのでお参り、御焼香下さりますれば幸いと存じます。
本日は本当にありがとうございました。
以上をもちまして簡単措辞ではございますが、喪主、遺族、親族にかわり御挨拶にかえさせていただきます。
大変ありがとうございました。

葬儀委員長 ○○農協組合長の例

故○○○○さんの告別式に当たりまして、非常に寒いなかを、しかもみなさま方には、公私ともに御多忙中のところを、わざわざ御会葬を頂戴いたしまして、しかもねんごろなお言葉もたまわり、また過分の御香料、御供物、御供花等も頂戴いたしまして、喪主に代わり心からお礼を申しあげる次第でございます。
○○さんが亡くなられてからも、早速と多勢の方々がおかけつけをいただきまして、これまた非常に心温まる言葉をかけていただけましたし、またお世話も頂戴いたしました。
並びに故人、昨年の12月13日以降、入院、加療中でございましたが、この間も、非常にたくさんの方々から見舞いをいただき、励ましのお言葉も何回となくいただきました。
この件もあわせてお礼を申しあげる次第でございます。
いよいよ出棺ということにあいなりますが、簡単に故人の経歴等について触れてみたいと思うわけでございます。
故人○○○○さんは、大正○年○月○日に○○○○さん、○○さんの四女として現在の北○条東○丁目、当時は町村制でございまして、札幌村字烈烈布という場所にお生まれになりました。
烈烈布尋常小学校をご卒業後、お父さんとお母さんの家業の農業を助けまして、兄弟と共に力をあわせて一生懸命お働きになられました。
そんな中で御縁がございまして、協同組合の○○○○さんのお父さんでございます○○○○さんのご紹介がございまして、本日の喪主の○○○○さんと結婚をされました。
昭和○年の○月○日だそうでございまして、○○さんの話によりますと、非常に厳しい吹雪の最中でございまして、おそらく、○○○○さんは嫁入りをする○○家でのこれからの先のことを思うと、いかにまあ、現在のような甘えというものはございません。
厳しい寒さの中をついて、このような覚悟の中で○○家にお嫁入りをしたと、このように観察をするわけでございますが、幸いにいたしまして、○○家は非常に暖かい家柄でございまして、○○○さんとの間に男の子供さん六人をももうけられまして、全員すくすくと成長いたしてございます。
当時、○○家は玉ネギの栽培を中心にいたしまして、水田ですとか、雑穀ですとか非常に手広く栽培をしておりましたし、忙しい毎日でございました。
しかもおとうさんの○○さんご夫婦、さらに年老いたおばあちゃんにも仕えてということでございますから、○○○さんの○○家における生活は大変だっただろうというふうに想像をいたします。
そんな中で夫の○○○さんを助けわれまして、子供さん達を養育されまして、農業の生産にも励んでこられたわけでございます。
昭和40年代になりまして、だんだんと都市化が著しくなってまいりました。
○○さんも解放されるようになってきましたが、しかしその頃からだんだんと健康が思わしくなくなってまいり体の不調を訴えるようになってきたことがひとつでございます。
そんな中で去る○年程前、昭和○○年には約6ヶ月余り入院されまして、糖尿病の闘病生活を終えられ、よくなりまして、あとは自宅で療養をなされておったわけでございます。
ところが再び体調が悪くなりまして、昨年の春、12月13日にまた入院することになりました。
で、その後は○○さんのお嫁さんをはじめ、子供さん達のお嫁さん等非常に献身的な看護の努力もなされましたし、また本当に病院をあげての治療にも専念されていただきましたけれども、とうとう去る3月14日、午前0時40分に糖尿病が原因の腎不全で他界をされたというようなことでございます。
私も同じ農事組合の一員といたしまして、常々○○○さんの経過について知っております。
けれども、非常に暖かみのある忍耐強い、しかも勤勉な方であったと、このように覚えております。
66年の生涯、あまりにも短すぎるなあと考ええるわけでございまして、その点、家族の方々、喪主の○○○○さんはもちろんのこと、ご遺族の方々もさぞや気落ちしているのではないかというふうに案じております。
故人は生前、いろいろな面で皆様方から厚情を頂戴してきたわけでございますが、残された喪主の○○○○さんは大変健康でございます。
またご家族の方々も立派に成長されて、経済的には何の心配もございませんけれども、故人存命中と同様、今後も○○家の皆様方にご厚情を頂戴できますように、あわせてお願いを申しあげる次第でございます。
おかげをもちまして昨夜にひき続いての告別式、ここで頭尾万端とどこおりなく終わらせていただくことができそうでございます。
あとは近親者のみにて野辺の送りをいたすということにあいなっておりますので、どうぞお願いしたいと、このように存ずる次第でございます。
尚、かさねがさね恐縮ではございますけれども、本日午後2時半から、この場所におきまして初七日、二十五日、四十九日のくりあげをかねまして。法要をあい営むことにしております。
何かとご都合の悪い中でございますけれども、やりくりできましたならばご参拝、御焼香をいただけましたら、身にあまる幸せでございます。
今後ともよろしくお願いを申しあげまして、簡単ですけれども、ご挨拶にかえさせていただきます。
どうもありがとうございました。

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